備忘録的 本棚ブログ

読んだ本の感想や書評を備忘録的に書いていきます。本棚の様に積み上げていくつもりです。

【100冊目】東日本大震災から6年、今こそ「一般意志2.0 東浩紀」を読みなおそう

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル (講談社文庫)

 

my本棚もようやく100冊到達です!ブログを再開したのが去年の7月で、そこからだと9か月で80冊ほどの本を記事にしてきました。速読ができないのでスローペースですが、今後も愚直に本を読んでは記事に残していこうと思います。

 

そんなこんなで記念すべき100冊目は哲学者で作家の東浩紀さんの本です。100冊目に意図的に選んだわけではないですが、東さんは哲学者でありながら積極的にメディア(主にニコニコ動画などネットですが)にも出ていて熱心に活動されているので、個人的に好きですし応援しているところがあります。

理由が自分でもよく分からず意外なんですが、結構このブログの中では東さんの記事が読まれている方でもあります。

「父として考える 東浩紀・宮台真司」を読んでコミュニケーションの大切さを感じたよ 

ネットよりリアルが大事「弱いつながり 東浩紀」

 

今回紹介する著作は氏が2009年から11年の春まで連載していたものが書籍化されたもので、さらに2015年に文庫化されたものを私は読みました。文庫化にあたって、東京大学教授で政治学者の宇野重規さんとの対談も収録されています。

 

タイトルの一般意志とはルソーというフランスの思想家が唱えた概念であり、それを著者が21世紀の現代において再定義するというのがこの本に書かれています。

 

まず著者はこの本の前半部分で、ルソーの書いた「社会契約論」に登場する一般意志という言葉が何を表しているのか読み解いています。非常に奥深く考察されているので私が自分の言葉で解釈するのは危険ですから、本文から引用します。

一般意志の生成には、共同体の成員の合意は必ずしも必要がない。一般意志は、成員がたがいになにも話しあわず、たとえ一言も口を利かず、目すら合わさなかったとしても、そこに共同体があるかぎり、端的に事物のように「存在」する。統治はその存在に従わねばならない。

 著者によると、ルソーの要点はただひとつで、一般意志が、人間が作り出す秩序の外部にあるということなのだとか。本文中に出てくる例としては、会議が行なわれているとして、その会議に出てくる飲み物をなににするかを議論して決定するものではないけれども、それはスタッフ(政府)が出席者の好みや季節、時間などを考慮してなにかひとつに絞るとする。その絞った飲み物という均衡点が一般意志にあたるというのです。

 

そしてルソーの提唱している秩序の外部にあるものを一般意志1.0として、グーグルやツイッタ―などで人々が無意識に検索したりつぶやいたりしている言葉を現代社会の一般意志だと位置づけ、それを「一般意志2.0」と呼ぼうというのが著者の主張です。

さらに、グーグルやツイッタ―、ニコニコ動画などを利用して形成される一般意志2.0を政治に導入しようというのが意外かつ実践的な提案として書かれています。

すべての省庁の審議会や委員会を、あるいは法案条文作成の模様を例外なく中継する徹底した可視化国家。政治家と官僚と学者が集う会議室には必ずカメラとスクリーンが用意され、議論は全てネットで公開され、他方で室内には、数千数万の聴衆の反応を統計的に処理し、タグクラウドやネットワーク図で映像化してダイナミックにフィードバックするモニタが用意されたインタラクティブな政府。とくに気負うことなく、ただだらだらとUstreamニコニコ動画の画面を立ち上げ、中継画像を見てコメントを打ち込むだけでその呟きが回り回って政策審議の行方に影響を及ぼす、引きこもりたちの集合知を活かした新しい公共の場。熟議とデータベース、小さな公共と一般意志が補いあう社会という本書の理想は、ひとつにはそのような制度設計を目指している。

 長文で引用してしまいましたが、端的にはこのような民主主義の未来を夢見ているそうです。確かに荒唐無稽なようにも思えますが、実現できれば理想的なものになるかも知れません。

 

しかし、書籍化にあたって著者も嘆いている通り、これらの主張は2011年3月の震災以前に書かれたものであり、少なくとも震災後数年間は、以上のような主張が受け入れられる雰囲気はなかったように思えます。ただ、震災から6年が過ぎ、今なお与党と野党が本筋とは違うところで足の引っ張り合いを続けている今こそ、もう一度この一般意志2.0を呼び掛けるタイミングではないでしょうか。

東さんのさらなるご活躍に期待すると共に、この本をお薦めします。