なぜ人は退屈だと感じるのか?気になったら「暇と退屈の倫理学 國分功一郎」を読んでみよう
ここ10日間ほど仕事が忙しく、メンタルもやられていたためブログを書くどころか本を読むのもままならない生活となっていました…。ようやく余裕が出てきたので再開です。ひとまず100冊記事を書くまではやめられません。
ということでmy本棚92冊目は哲学者、國分功一郎さんの本です。この「暇と退屈の倫理学」という本は2011年に発刊されたものですが、今回私が読んだのは2015年に増補新版として出されたものです。
人生の中で誰もが一度は暇だなと思ったり退屈だなと思ったりしたことがあると思います。本書はその暇と退屈について考察しています。なぜ人間は退屈だと感じるのか、動物にも退屈はあるのか、人間はいつから退屈を感じるようになったのか、など退屈への疑問が次々と提示され、それに対する答えが明らかになっていきます。
哲学とはいっても読みやすく、分厚い本ではありますが多少本を読みなれている人なら読みとおせる一冊になっていますよ!
本書はおおまかにいうと前半と後半にわけることができます。前半は暇と退屈を歴史的な観点から論じています。
古今東西、様々な思想家、哲学者が暇と退屈について考察をしています。最初に取り上げられているのは17世紀のフランスの思想家パスカルです。
パスカルはウサギ狩りを例にあげて論じます。ウサギ狩りに行く人に向かってウサギを差し出しても、その人は決していい顔をしないというものです。
ウサギ狩りに行く人は実はウサギそのものを欲しているわけではありません。狩りをする手間や時間を楽しんでいるのです。そう考えると、人間は自分自身をだまして(あるいは無意識に思いこんで)何かに熱中し、暇と退屈から逃れようとする生き物だということができます。
後半は、ドイツ出身の近代の哲学者、ハイデッガーの退屈論について考察すると共に、著者の考えが語られます。
いかに読みやすく書かれているといってもブログでまとめるのは難しいのですが、人間と動物の思考の違いについて言及されている部分は興味深かったです。
例えば、哺乳類の血を吸おうとするダニや蜜を吸うミツバチは、それぞれ対象となる哺乳類や蜜を人間の様に認識しているわけではないそうです。ダニは哺乳類の匂いだけをシグナルとして体に飛びつきますし、ミツバチは満腹になるまで蜜を吸うのをやめようとはしないのだとか。
シグナルをただ待ち続ける動物に退屈という概念はあるのか、よくこんなことを考えるなと感心するばかりでした。
暇と退屈に対する結論についてのみをここに書いてもそれに至る経緯を書かないと伝わらないと思いますので割愛します。
ただ、人間は外部からの刺激に慣れるため習慣をつくる→習慣により刺激を受けにくくなるがそうすると退屈する→退屈を解消するため別の外部刺激を求める…というループ現象は、人間ないし生物が成長していくために必要な機能であるがゆえに退屈と感じるのではないかと思いました。
幼稚なまとめですみません。興味がある方はぜひ手に取って見て下さい!